まちづくり

江戸川区「行船公園」の「行船」の名称の由来

私が住んでいる船堀・北葛西地区から西葛西駅に行く船堀街道沿いに江戸川区の皆さんであればよく知っている行船公園があります。よく出かけている公園なのですが、どうして「行船公園」という名称であり、「公園の名称に地名がついてないのはどうしてだろう?」と思ったことがありました。そこで、今回は、地名ではないのですが、「行船公園」の名称の由来を紹介したいと思います。

江戸川区公式サイトの中の「行船公園(平成庭園・源心庵)」のページで名称の由来が記載さていて、「『行船(ぎょうせん)』の名称は、寄付者の田中源氏の屋号(やごう)『行船(ぎょうせん)』にちなんでつけられました。」と記載されています。

次に、田中源氏の「屋号」とは何かですが、これは名字の代わりに用いる、その家の呼び名のことです。また、この本来の屋号の意味から派生して店の名称などを屋号と呼ぶ場合もあります。行船公園の「行船」は、このような田中源氏の「屋号」から名付けられたものなのです。

この田中源氏のことを少し見てみますと、田中源氏は、明治9年(1876)10月葛西に生まれ、農業を営んでいました。明治41年(1908)3月葛西村村会議員に選ばれ、その後、南葛飾郡郡会議員、同郡議会議長、葛西村村長、東京府会議員、南葛飾郡農会会長、東京市会議員、東京府会議長、そして昭和17年4月には衆議院議員に選出され、葛西地域や南葛飾郡、東京、そして日本の農業等の発展に寄与した政治家です(「中山・下総散歩道」サイトの中の「行船公園の散歩道」)。このような経歴を見ると、田中源氏は江戸川区の発展に尽くされた政治家であると思います。

この田中源氏が昭和8年(1933)7月、東京市に現在の行船公園の地にあたる1万坪(およそ3,300㎡)の土地を寄贈しました。その後、昭和25年東京都から江戸川区へ委譲されたのを機に、公園本来の姿として計画整備されたものが「行船公園」なのです。田中源氏は区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として土地を東京市へ寄付したものなのです。行船公園に訪問した際にはこの田中源氏のお気持ちを感じることができると思います。(筆者金井たかし(高志)のプロフィール

「金井たかし 江戸川区の政策研究」(金井たかし公式HP)(東京都江戸川区)  

弁護士 金井高志(金井たかし)

(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)

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