最近Twitterで江戸川区東葛西にあった地名「雷」に関係する新小岩厄除香取神社(江戸川区中央)の大雷神の石碑についての投稿がありました。また、以前江戸川区の西一之江に住んでいたことで葛西駅に行く際に使用していたルートですが、都営バスの葛西22(葛西駅前と一之江駅前の間)のルートのバス停の雷(いかずち)というバス停があります。場所は江戸川区東葛西9丁目16で、その隣に「雷不動前」というバス停もあります。そこで、今回は江戸川区の「雷」の地名の由来を調べてみることにします。
まず、「雷」の地名の由来について、江戸川区の公式文献『江戸川区地名の変遷とその集解』では「雷」という地名は、東宇喜田村の小字(こあざ)として「雷組」が掲載されていますが、その由来自体についての説明はありませんでした。しかし、インターネット上の企業によるエリアガイドのサイト「雷不動 江戸川区エリアガイド」において(文献引用はないのですが)、地名の由来について、「雷(いかづち)」という地名は、真言宗豊山派「海松山」真蔵院のご本尊である「雷不動」からきていることが示されています。
そこで次は、この「雷」不動という名称の由来ということになります。インターネット上での個人サイト『中山・下総・散歩道』「葛西大師まいりの散歩道」で地名の由来について公式な資料を掲載しているものがありました。
江戸川区教育委員会による「海松山真蔵院門前案内板」(昭和62年3月)に
「真蔵院(雷不動)
天文年間(1532~1554)の創建と伝える旧東宇喜田村の古刹で、真言宗豊山派、海松山と号します。本尊には木造不動明王立像をまつっています。
波切り不動と雷不動
葛西沖でしけにあった漁師が、この寺の松にいた竜の発する光で助けられ、残された剣を不動にそなえたことから波切り不動、その不動が大雷雨の時に雷を退治したことから雷不動と呼ばれたと伝えられています。」
と記載されています。
この言い伝えによる「雷不動」という名称から、この地区について「雷組」という地名になったということになります。なお、「雷組」という小字についている「組」というのは仲間を意味していて、連帯社会的な意義から生まれた名称です(『江戸川区地名の変遷とその集解』での説明)。
「雷」という地名は本当に珍しいもので、現在、この地名はなく、バス停の名称として「雷」と「雷不動前」として残っているものですが、歴史あるものですので、大事にしたいものです。(筆者金井たかしのプロフィール)
「金井たかし 江戸川区の政策研究」(金井たかし公式HP) (東京都江戸川区)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
FACEBOOK(江戸川区の行政に関する情報を発信)
Twitter (江戸川区に関する情報を発信)